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立命館慶祥高校1年生であり株式会社αFRONTIERの金澤和樹さんが、冒険家の荻田泰永さんに、冒険家になったきっかけや、現在進めているプロジェクトなどについてお話を伺いました。

荻田泰永さん

1977年生まれ。冒険家として、日本人で初めての南極点無補給単独徒歩到達に成功。現在は神奈川県で「冒険研究所書店」プロジェクトを進めている。

インタビュアー
金澤和樹さん(写真右)

立命館慶祥高校1年生。 株式会社αFRONTIER所属。講演会の開催などを主な事業として取り組んでいる。

 

 冒険家になったきっかけとは?

金澤: 本日はよろしくお願いします!早速ですが、荻田さんが冒険家になろうと思ったきっかけはどんなことだったのでしょうか?

荻田: 何気なく見ていたテレビで、ある冒険家の方が「若者を北極に連れて行く」と言っていたのを見たのがきっかけでした。当時僕は大学を中退して、何がしたいのかわからずアルバイトをしながら悶々とした日々を過ごしていたんですね。その言葉を聞いて少しでも自分の環境を変えたいと思い、気づいたらその方に手紙を送っていました。

金澤: なるほど!実際に北極に行って、そのときに冒険家になろうと決めたんですか?

荻田: いえ、もちろん北極に行ったのは良い経験でしたが、帰ってからは元通りの日々に戻ってしまっていたんです。だから今度は自分の力で周りの環境を変えたくて、次の年に1人で北極に行くことを決めました。 周りの環境を変えたくて、次の年に1人で北極に行くことを決めました。

金澤: 1人でですか!?どんなことに苦労しましたか?

荻田: 周りに誰もいない過酷な環境なので、1つのミスが命につながるんです。例えば2007年に1人で北極に行った時には、1つのミスから泊まっていたテントで火災を起こしてしまいました。救助が来たので一命は取り留めましたが、テントは半分が焼けて、僕は両手に大火傷を負ってしまいました。

金澤: ええ!?そんなことがあったら、冒険に行くのが怖くなったりしませんか?

荻田: その時はミスを起こしてしまったことが原因で、「もう辞めようかな」と思ったことはありました。でも1、2年経つと冒険していないことが許せなくなってきて、2010年からまた歩き始めるんです。

 若者に多様な見方を身に付けてほしい

金澤: なるほど、そうして荻田さんは南極点への無補給単独徒歩(第三者からの支援を一切受けず、必要物資を全てそりにのせて自分の足だけで1人で冒険を達成すること)を成功させるんですね。荻田さんは今後、どのような冒険をしていきたいですか?

荻田: 現在たくさんの方から資金協力を頂き、「冒険研究所書店」という書店を運営しています。コロナ禍で外出が控えられる中、子どもたちに本の中で冒険や旅を楽しんでもらいたいと思い設立しました。僕にとっては初めての経験なので、何度か行ったことのある北極より今の方が冒険しているかもしれません。(笑)

金澤: 環境は関係なくて、常に新しいことに取り組むこと自体が冒険なんですね!それでは最後に、読者の中高生に向けてメッセージをお願いします。

荻田: 冒険のチャンスはそこら中に転がっています。それに気付けるかどうかは、多様なものの見方を出来るかどうかなんです。多様なものの見方を出来るように、若い人には本をたくさん読んで、さまざまな考え方や視点を身に付けてほしいと思っています。もちろん本には答えはなくてヒントしかないので、本をきっかけにいろいろなことを自分で考えていってほしいですね。  

冒険研究所書店

 

エコチルでは、社会で即戦力として活躍できる人材の輩出を目指す、キャリチルアカデミー活動に取り組んでいます。
このページはその一環として、現役高校生で構成している株式会社αFRONTIER が取材を行い、記事にまとめました。

 

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